登ってみませんか? 小瀬の砲台跡が整備されました

小瀬砲台跡(おぜほうだいあと)

長州軍幕府軍との戦いの「四境の役」の戦地となった小瀬川には多くの砲台跡が残っています。その砲台跡の一番重要な箇所がボランティア方々により整備されました。幕末の長州征伐の貴重な史跡だと思うのですが入手した「小瀬の砲台跡を整備」の資料だけでは残念ながら実際の登山口は不明でした。いつか登って長州軍の気持ちにふれてみたいものです。

「四境の役」について
長州藩(周防国と長門国を領国とした毛利氏を藩主とする藩)は、1864年に禁門の変(京都で起きた武力衝突事件)を起こし、幕府軍より責任を問われ、処分される事となりました。
幕府軍は、尾張、越前をはじめ西国諸藩より集められた「征長軍」を編成し、長州藩を攻めました。
長州藩は、山陽道から侵攻する「芸州口」、山陰道から侵攻する「石州口」
関門海峡より侵攻する「小倉口」、瀬戸内海から侵攻する「大島口」の4方向から攻められました。

(「小瀬の砲台跡を整備」リーフより)

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