障害者(児)理解促進講演会&ミニ演奏会 開催されました 12/9

せの音楽けたい

令和5年12月9日(土)令和5年度心身障害者(児)理解促進講演会&ミニ演奏会が、岩国市民文化会館にて行われた。

 講演会では、野田恭子氏(野田あすか氏の母)より、家族と共にあすか氏に向き合い、あすか氏が「どうしてまわりとうまくいかないの?」と悩み、傷つき、悔しい思いをしてきた経験やピアノの恩師との出会いなど家族と共に乗り越えてきた半生について講演した。あすか氏は、幼少期広島で生活をしていた事もあり、山口県の秋吉台や錦帯橋には、遊びに行く事もあったそうで、恭子氏は、「岩国市での講演&ミニ講演会は、懐かしくて胸がいっぱい」と話していた。

あすか氏が発達障害と診断されたのは、22歳の頃。幼少期は他者が知っているルールを自身だけが理解できずに、先生から叱られても理由がわからずにいた。相手の言葉をそのままの意味で受け取ってしまう、興味のあることは何時間でも熱心に取り組むという発達障害の特徴的な“個性”のなかで、苦悩していた。恭子氏は、「先生からは、優等生だと言われていました。私の前ではニコニコしていたし、楽しい学校生活を送っているものだと信じていました。」と振り返る。様々な環境の変化の中で、あすか氏は、苦しみ、ストレスから自傷行為に至るなど苦悩していた。そんな中で、心のよりどころは4歳のころから続けてきたピアノだった。
講演会の中では、あすか氏の個性的な暗譜方法についても触れられていた。補助線を引いたり、楽譜を読み、録音し、カタカナに起こして…など。楽譜を1段覚えるのに1日かかることもあるが、あすか氏は笑顔で「大変だけどできた時の喜びは人より倍感じられる」と語っていたことも伝えられた。

あすか氏は、自分でも自分の感情がわからず、どのように伝えればよいか困り、つきたくない嘘をつく経験も多かったそうだが、ピアノの前では、音に感情を乗せ、自分の心の音色が素直に表せていた。そんなあすか氏を見て、恩師の田中幸子先生(現 平成国際大学教授)より「あなたの音は素敵ね。あなたは、あなたの音のままでとても素敵よ」と言ってもらえ、「私は私で良いんだ」と感じることができたそう。障害の診断があった時も、あすか氏は「自分が発達障害と知って、ほっとしました。まわりの人と同じようにできるよう一所懸命に頑張ったのに、私にはできない。ダメなのは自分のせいだと責めていたので、“障害があるんだよ”と言われて、努力が足りなかったんじゃない。私が悪い子というわけじゃなかった。よかったと思いました」と語っていた。講演会の最後では、恭子氏より、あすか氏が「10年後の私へ」と書いた手紙を紹介し、講演会を閉じた。

講演会後、野田あすか氏によるピアノミニ演奏会が開催された。父の福徳氏が車椅子を押し、笑顔でピアノのもとに登場。あすか氏より「私の名前は野田あすかです。聴いている人の心がほっとする音楽を届けるのを目標に活動しています。」と笑顔で自己紹介の後、演奏会開始。やわらかいピアノの音色や歌声が会場に響き渡った。
演奏の合間、会場からは拍手が巻き起こる都度、あすか氏も拍手をしながら笑顔で答え、「心を込めて演奏します。拍手、大好き!」と挨拶した。会場は、あたたかい笑い声と拍手に包まれた。演目の中にあすか氏が幼少期に共に過ごしたクスノキを想い、作曲した「木もれびの記憶」や「哀しみの向こう」を演奏、作詞・作曲した「手紙 ~小さいころの私へ~」は手話を交えて歌唱し、またアンコールでは、作曲した「生きる。」を演奏し、終始、あたたかい雰囲気の中、ミニ演奏会は閉会した。

講演会&ミニ演奏会終了後も、会場は大きな拍手で包まれていた。

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